東宮西宮



これは一流の心理ゲームだ。
男と男の間で行われた愛の交換とでも言おうか。
世界どこでも共通する”愛”という不確かな感情を、
ある閉ざされた空間内で、見事に描いている。
しかも、描かれた国、作られた国が中国だというのが驚かされる。


東宮西宮とは、元々は紫禁城の両脇に立つ公衆トイレの名前であり、
そこでは毎夜、北京中からゲイが密やかな出会いを求めて集まっている場所である。
ある夜、そこで警察による摘発があり、ひとりの青年作家が警官に連行される。
警官はあからさまな嫌悪を示し、彼に理不尽な要求や、残酷な言葉を投げかける。
それは、ゲイの青年の暗い過去を呼び覚ます。
少年期のこと、両親のこと、そして、自分が初めてゲイだと自覚した日のこと。
彼が語るそれらの事を聴いているうちに、警官はやがて彼が囚人だと言うことを忘れていく。
そして、青年も、警官の中にも自分と同じホモセクシャルな愛情があることに気付く。
嫌悪と魅惑、誘惑と反発、二人の感情は静かに揺れながら、奇妙なゲームが続いていく・・・


途中、ゲイの青年に警官が、自分が女であるという自覚があるのか?と尋ねる。
それに対し、青年は、”女にもなれるし、男にもなれる。僕は自分のなりたい物になれる”と答える。
凄い言葉だと思う。それは、青年が未分化の性を持っているという意味ではなく、
相手が望むままの自分になって素直に従うことが出来ると言うことを、
警官にそれとなく知らせているのだ。
警官が如何に厳しい尋問をしようが、耐え難い仕打ちをしようが、
彼に命令されるがままになれるという意志表示なんだ。


そして、警官は自分の内なる衝動を抑えきれず、
青年を激しく抱きしめ、キスをしようとする。
その瞬間に警官が見せたあの目!
あれは、紛れもなく愛する人を見るときのあの目だ。
ゲイは目を見れば分かると言う。ならば、警官の見せたあの目は、
一体どう説明すればいいんだ?
答えはもちろん一つしかない。
ノンケであるはずの警官、しかし、彼は青年を抱きしめるとき、
ゲイでしかあり得ない目を見せ、感情を示した。
ゾクッとしたなんてモンじゃない。劇場のイスから飛び上がるほどに驚いた。


青年の仕掛けた心理ゲームに、警官はまんまとはまったのかも知れない。
人が常識として抱いている倫理観なんてものは、こんなに脆いのだ。
男は女を愛するもの。そんな常識はこの映画を見るだけで覆る。