司祭



Linus Roache & Robert Carlyle

僕がこの映画の最後で流した涙は、誰のために流した涙だったのだろう。
ゲイである司祭のため?
あの哀れな少女のため?
それとも、ゲイである自分自身のため?


ゲイであることが最も差別される職業であろう”司祭”という職業に就く男。
彼の悩み、苦しむ姿は見ているだけで辛すぎる。
人間にとって、肉欲は何よりも優先させられるものなのだろうか?
それが例え、妻子を持つことさえ禁じられているカトリックの司祭であっても、
欲望を抑えることは出来ないのだろうか?
逆に言うならば、聖職者になると言うことは、そういう欲望を抑え、
ただ神のためだけに自分の人生を捧げると言うことなのだろうか?
ならば、聖職者がかくあるべきと定めたのは、神なのか?それとも人間なのか?


人に愛を説いたのは間違いなく神であったはず。
ならば、人には人を愛する権利がある。
例え、その愛の対象が、同性であれ、異性であれ、
愛するという行為自体は、如何なる状況に於いても侵されてはならない。
自分も含め、同性しか愛せない人たち。
その人たちも神の子であり、神が作りたもうた形ならば、
何故、神はそのような愛の形を作ったのか?


同性愛は心の病と言う人たちがいる。
病ならば、治るものなのだろうか?
いや、この気持ちは病ではない。
意識して抱いた気持ちではなく、ただ、自然な感情だ。
それなのに何故こんな差別を受けなければいけないのか。
何がタブーで、何が許されるのか。
”聖職者でありながら”、何て事は関係ない。
例えどんな職業であろうと、ゲイであることがスキャンダルではない。
そんな世界には、なることはないのかなぁ・・・