ロバート・イーズ

ロバート・イーズ、彼は女性として生まれ、結婚し、
二人の子供を産み育てた後、35歳で男となった。
これは、彼の最期の一年を綴ったドキュメンタリーである。
フィルムは、ロバート・イーズのつぶやきから始まる。
「イースターの朝、陽が昇る。
彼らを突き動かしたのはなんだったのか、理解できたらと思う。
連中のせいで死ぬともいえるが、憎みはしない。
そうさ、ただ気の毒になる。
許す気にはなれないけれど、連中と神の間の問題だ。
憎みはしない。
自分たちが正義なのさ。
見てると哀しいがね。」
このつぶやきが何を意味しているのか、
それは、フィルムを見ていくと自然と分かる。
彼と、彼の仲間たち。恋人でトランスジェンダーのローラ、
息子のような存在でトランスセクシャルのマックス、
同じくトランスセクシャルのキャス。
彼らとの生活に、フィルムを通して触れていくうちに、
彼らがどんな日々を暮らし、どんな差別を受け、
どんな気持ちでこれまでの人生、生活いわゆるLIFEを過ごしてきたのかが分かる。
そして、フィルムの冒頭に収められた彼のつぶやきの持つ大きな大きな意味と、
彼が抱いていた哀しみが見えてくる。
しかし、彼は、決してトランスジェンダーやトランスセクシャルに寛容でない、この社会に
決して憎しみを抱いてはいない。
全て受けとめて、自分の人生を満ち足りたものにする生き方を選んだ。
彼はもう此の世にはいない。このフィルムは、彼の最期の一年を納めたものだ。
彼の死後に編集され、此の世に出た。
彼は自分の人生を、社会の差別に対する戦いに費やしたりはしなかった。
このフィルムに彼の生き方を遺し、そして静かに、愛する人たちに包まれて
此の世を去った。
これは1人のトランスセクシャルのドキュメンタリーだが、
同時に、当然のことながら、1人の幸福な死を記録したものでもある。
そう、彼は確かにマイノリティとして差別されていたが、
彼の人生の終わりは、本当に穏やかで、愛に包まれていた。
彼は子宮ガンだった。
唯一つ残された女の部分が彼に死をもたらす皮肉。
それが分かったとき、病院は彼を治療することを拒んだ。
彼を入院させることで、どんな噂を立てられるか分からなかったからだ。
保守的な南部の気質も影響していたのだろう。
結果、病状は治療のしようが無いほど悪化し、手遅れとなった。
マックスとキャスは、自らの乳房を切り取った胸を見せてくれている。
そこには醜い傷跡が残されていた。
十分な治療が行われなかったために、残されてしまった傷跡である。
彼らは確かに性同一性障害だ。
心の性と体の性が一致しないという障害であり、決して病気ではない。
心の性を変えることは出来ない。だから体の性を心に一致させるのだ。
乳房の切除はそのための手術であり、それが彼らにとって、
本来の姿になると言う行為なのだ。
ここまで長々と書き連ねてきたが、これら全てのことを、
僕は不覚にも知らずにいた。
ゲイである僕ですら知らないことを、大多数のストレートが、
どれだけの知識をもっていると言うのだろうか?
トランスジェンダーとトランスセクシャルの意味の違いなんて、
違いがあることすら気付かなかった。
たった90分にまとめられた"ロバート・イーズ"という人の最期の1年間。
それまで歩いてきたLIFEは、苦しく辛いこともたくさんあっただろう。
でも、この最期の1年、彼は心からのパートナーと、
自分を愛してくれる仲間に囲まれ、静かに眠りに着いた。
マイノリティで生まれることは、必ずしも不幸なことじゃない。
差別を受けることでも、同情を受けることでもない。
ただ、1人の人間として、生きて、付き合っていけばいい。
そんな当たり前のことを、こんなに当たり前のことに感じたのは、
この映画が初めてかもしれない。
ロバート・イーズ公式HPへ
