ひと月の夏
北イングランド・ヨークシャー。
あるひと月の夏、二人の男がこの場所に居た。
その夏は、その後の長い人生で永遠に忘れられない夏だった。
壊れかけた人生が、穏やかな時間の中で癒やされていた。
教会の壁に塗り込められた昔の絵を修復するために訪れたバーキン。
彼は、第一次世界大戦から生還するも、心に深い傷を負い、
喋る言葉に吃音を生じさせた。
そんな彼の元からは、妻も去っていた。
同じ教会で、その昔、葬られた遺跡の発掘をする男、ムーン。
彼もまた、同じ大戦で深い傷を負っていた。
彼の心の傷は、表だった変化を見せない、しかし深い傷だ。
テントの中で暮らす彼は、塹壕のように掘られた土の穴でしか眠れなかったり、
夜な夜な、戦争の体験にうなされ続けていた。
二人は、共通する過去と、現在の孤独な作業から、
すぐに親しくなっていく。
教会の牧師の美しい妻、アリス。
彼女にバーキンは言葉にならない想いを抱く。
常に戦争の記憶にさらされたバーキンは、
唯一、彼女と居るときだけ心安らげる。
森の中で二人歩きながら”あなたは美しい”と告白するシーン。
バーキンの心が柔らかになったかに思えた瞬間鳴り響く銃声。
ハンターの紳士が放った銃声だったのだが、
彼の心を引き裂くには十分な音だったに違いない。
ある日、バーキンが駅長に誘われ町に出かける。
そこで、ムーンと戦場で一緒だったという男から、
ムーンの過去を知る。
彼は、戦場での辛さに耐えかね、将校たちとホモセクシャルな行為に
逃避したというのだ。
彼が抱く心の傷。それは、戦場での異常な体験からの挫折だったのだ。
しかし、お互いの心の傷を知ることで、
彼等はより深く静かにお互いの心を理解しえた。
壁画の修復作業を続けるバーキンは、絵にある発見をする。
額に三日月のある男が転落する姿が描かれており、
明らかにその姿は、ほかの部位とは違うタッチで描かれていたのだ。
しばらくして、ムーンも石棺を掘り当てる。
その中には、三日月のペンダントをした骨が入っていた。
しかも、彼はイスラム教徒で、教会の敷地外に埋葬されていた。
つまり、教会の壁画を描いた男は、改宗させられたイスラム教徒で、
その後、イスラム教徒に戻り、墜落死し、敷地外に埋葬されたのだ。
お互いの作業が終わりに近づくと共に、夏も終わろうとしていた。
アリスがバーキンの元へリンゴを届けに来た。
二人の間に、穏やかな空気が漂う。
しかし、彼等を結びつける物が何もなくなった以上、
これ以上の幸せが訪れることもなかったのだ。
夏の終わりと共に、ヨークシャーを後にするバーキン。
彼と入れ替わるように年老いた男が古びた一冊の本を抱えてやってくる。
時間を超え、再びこの地を訪れたバーキンだろう。
そして、再び、リンゴを囓りながら去っていくバーキンを映し出す。
穏やかな時間が心の傷を癒やす。
そこに慰めの言葉など無くても、静かな時間が心に染みわたる。
戦争によって壊れかけた二つの心が、たったひと月の夏の間で、
後の人生を生きていくだけの心の修復を終えた。
塗り込められていた教会の壁画を修復するだけの、
たったひと月の夏の間に。
