2001年4月20日。
彼女の歌声は永遠に僕の前から消えた。


Coccoが初めて僕の前に現れたのは1997年3月。
「カウントダウン」という曲のクリップを観た。
”血迷った過ちに気付いて泣き叫ぶがいい”と叫ぶ彼女の姿に、
心の底から衝撃を受けた。
あの時の衝撃は今でもはっきりと覚えている。
次の日、すぐにこのシングルを買いにレコード屋へ出かけた。
収録されていたのは「カウントダウン」「遺書。」「Way Out」
”その腕で終わらせて そらさずに最後の顔焼き付けて 
見開いた目を優しく伏せて”(「遺書。」)
”独りにしないで 出口はどこにあるか教えて
どこまで行けばいいか教えて”(「Way Out」)


儚げな少女、壊れそうな乙女。
それでいて世界の全てを壊してしまいそうな情念。
それは、この1枚目のシングルに収録されている3曲で
僕の心に突き刺さって抜けなくなった。


97年5月。1枚目のアルバム「ブーゲンビリア」発売。
全12曲。1枚目にしてこの完成度は僕の期待を遙かに超えていた。
音楽に対する愛、いや、この世のもの全てに対する愛が溢れていた。
”I WANT EVERYTHING.I NEED EVERYTHING.AND I SING A SONG.
'CAUSE THAT'S MY LIFE."(「SING A SONG」)
全て欲しい、全て必要、そして私は唄うの。それが私の人生だから。
歌うことでしか、自分を表現できない。
だけど、逆に言うと、歌うことで自分を表現できる。
そんな彼女の20年間に蓄積された想いが、
溢れ出すままに形になったようなアルバムだった。


11月、2枚目のシングル「強く儚い者たち」発売。
1枚目のアルバムからは考えられないくらい優しく爽やかなメロディ。
しかし、そこに載せられた歌詞は目眩を感じるほど赤裸々だった。
それは”だけど飛び魚のアーチをくぐって 宝島に着いた頃
あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ”という歌詞に尽きる。
Coccoはブレイクした。
彼女の歌詞、声に40万人もの人が惹きつけられた。
僕にはそれが、嬉しくもあり、不思議でもあり、そして心配でもあり。


98年3月シングル「Raining」発売。
おそらく、最も彼女の自伝的な内容の歌詞なのだろう。
”ハサミを握りしめて おさげを切り落とした”
”髪がなくて今度は 腕を切ってみた 切れるだけ切った
温かさを感じた 血にまみれた腕で 踊っていたんだ”
”私は無力で言葉を選べずに 帰り道のにおいだけやさしかった
生きていける そんな気がしていた”
Coccoが本当にそんな経験をしたかどうかは分からない。
でも、その歌詞が本当のCoccoの姿なんだろうって信じられる。
この人は凄い人だと思った。そして、歌うことが出来て、
聞いてくれる人がいることを、素直に良かったと思った。


98年5月2枚目のアルバム「クムイウタ」発売。
僕は、このアルバムを北九州から大阪に帰る途中の新幹線で聞いた。
琉球語で「子守歌」と題されたこのアルバムは、その通り、
彼女の子守歌で幕を開ける。
子供の頃の自分に向けて書いた詩、母親に向けて書いた詩、
絵本の如く物語が展開する唄、そして、最後はまた子守歌。
故郷に帰る新幹線の中でこのアルバムを聴いて、
自然と幼少の頃の自分を思い出していた。
”消えない夜を 踊り子たちの声を 跡絶えた風を
朝靄に酔うほどに 空を仰いで ここへおかえり”(「ウナイ」)
彼女の故郷、沖縄に対する呪縛のような愛着が、
痛いほど心に染みいる「子守歌」だった。


この後、彼女は4枚のシングルをリリースする。
それは、安定期とも円熟期とも呼べる時期だった。
98年10月「雲路の果て」99年4月「樹海の糸」
2曲の重い重い恋の唄。千切れるほどのその想い。
99年10月「ポロメリア」発売。
この曲で、Coccoは初めて千切れるほどの恋から
次の一歩を踏み出そうとする唄を歌う。
”あの丘を越えれば いつもあなたがいた さよならかわいい夢”
激しい情念から解き放たれる予感を含む一曲だった。
2000年4月「水鏡」発売。
しかし、そこには未だ何処へ向かうか見いだせない姿があった。
”あなたの指がしみついたままで 上手に歩けるはずもないのに
さあ わたしは何処へ?”
迷いながらも、行く先を見いだせないままでも、それでも歩こうとする。
Coccoにはこれほどの強さがあったのか?!
それは、次のアルバムで噴出する。


2000年6月3枚目のアルバム「ラプンツェル」発売。
前作より2年ぶりに放たれたアルバムは、これ以上ないほどに、
怒りと狂気と叫びに満ちていた。
1曲目は、その後シングルカットされる「けもの道」
過去の自分と過去に愛した人への断罪から始まる。
”傷には雨を 花には毒を 私に刃を
嘘には罰を 月には牙を あなたに報いを”(「けもの道」)
間奏にはCoccoの絶叫さえ入り混じる。
断罪と狂気の連続。
それが11曲目に収録されている「ポロメリア」で変わる。
やはりこの曲は、断罪を終え、浄化されたCoccoの新しい姿だったんだ。
「ポロメリア」〜「海原の人魚」〜「しなやかな腕の祈り」とつながる
ラスト3曲は、これまでは考えられない、癒やしの感情がある。
”消えないにおいと 新しいにおいと 愛したにおいと
愛すべきあなたと”(「海原の人魚」)
”指先から こぼれる愛を集めて 全てあなたにあげましょう おやすみなさい
このしなやかな腕に 体を横たえ泣きなさい”(「しなやかな腕の祈り」)
このアルバムを聞き終えて、僕はもうCoccoが脆く儚い人だとは
微塵も思わなくなった。
何という深い愛、何という力強い生命力。
世界の全てを壊しそうな情念は、ここで、世界の全てを包み込む情愛に変わった。


2000年7月「星に願いを」発売
”慰めないで 構わないで 労らないで 歩けるから”
嗚呼!なんて力強い言葉。


2000年10月6日、日本武道館でのライブに行った。
初めて見る生で歌う姿。
裸足に真っ白なワンピース。
長い髪を振り乱しながら歌うその姿に、
僕は完膚無きまでに打ちのめされた。
吐き出される言葉の一つ一つが、音の塊となって脳を直撃する。
歌い叫ぶその姿は、
まるで何も纏っていないように見えた。
彼女の心の周りには何もない。
裸の心の本当の彼女が、ステージで歌っている。


”歌うのをやめて沖縄に帰るとき、
みんなと仲良くした想い出は重くなるから、
私はいつも独りでいた。”


Coccoは曲間のMCでそう語った。
スタッフやツアーメンバーと意識的に距離を取り、
常に独りでいようとしていたんだ。


”わたしが”姫”でいられるのはステージの上だけ
ステージを降りたら私はただの沖縄の女
でも、ステージで姫として私のためにスポットを当ててくれる
たくさんの人たちが頑張ってくれている。
ステージが終わったらみんな忙しくて、
わたしの言葉を聞いてくれないから、
この場を借りて、お礼を言います。”


泣きながらそう語り、深々と礼をして、
最後の曲を歌い終え、マイクをステージに置いて、
みんなにありがとうと伝え、
彼女は逃げるように舞台袖に消えた。


2001年2月「羽根〜lay down my arms」発売。
そして、活動中止宣言。
寂しさと哀しさと、ああやっぱりという諦めと。
去年観たステージは、本当に最後のステージだったんだ。
”もうすぐ散るよ 灰は燃え尽きて どこへ行こう?”
もう大丈夫、今のCoccoならどこへでも行けるよ。
Coccoが僕の前からいなくなっても、今なら安心して、
さようならと言えるんだから。


4月18日ラストアルバム「サングローズ」&ラストシングル「焼け野が原」発売。
ここにはもう、”痛いから歌う”Coccoの姿はない。
傷は全て癒やされ、明日を見据えるCoccoがいる。
「焼け野が原」の歌詞にはデビュー当時のCoccoの慟哭、悲嘆、嗜虐は
微塵も感じられない。力強さを何より感じる。
そして、”扉を開けて 新しい場所へ”という歌詞から始まる「コーラルリーフ」と言う曲で
アルバムは、幕を閉じる。


4月20日ミュージックステーション。
彼女は、活動中止する理由を”東京の生活に馴染んで、
沖縄の海が汚れてきたから”と語った。
また、”テレビに出たくないから”とも言った。
本気か冗談か、多分本気だと思うけど(笑)Coccoらしい理由だよな。
ともかく彼女は、もう歌うことで自分を痛みから救う必要がなくなった。
「焼け野が原」を絶唱するその姿は、瞬きするのも惜しいほど、
生命の力に溢れていた。
歌わなくちゃ自分が壊れてしまうなんて心配はもうない。
和らげなくちゃいけない痛みももうない。
僕は涙をこぼしていた。
歌い終わった彼女は、バレエでするようなお辞儀、投げキッス、
そして、満面の笑みでピースサインをして、スタジオの外へ走り去った。


これで、彼女の”うたうたい”としての歴史も永遠に幕を閉じた。
でも僕の心には、あなたの存在は永遠に消え去ることなく焼き付きました。
いつか、絵本作家になったあなたと出会うことがあるかも知れませんが、
その時は、また素晴らしい心を分けてもらえる事でしょう。
それまで、しばらくお元気で・・・。