カーテンコール
Jack&Tonio

この映画に出会えたことを神に感謝します。
この気持ちは、一生かけて愛する人に出会えたような、
抱きしめたくなるほど愛しくて愛しくて。
そうか、ボクはこの映画に恋をしているんだな。
エイズにかかりながら、踊り続けることで生きることを全うしようとする青年と、
カウンセラーでありながら、自分の仕事にいきる意味を見いだせない40過ぎの男。
全く違う二人の生き方が、何時からか何処からか惹かれ合う。
二人の間は、微妙すぎるほどのバランスで、行きつ戻りつしながら近づいていく。
”少なくとも君が死ぬときはひとりじゃない。”
そんな言葉を愛する人にかける、もしくはかけられる相手を見つけることが出来るのだろうか?
愛し合った時間の長さは問題じゃない。
その愛の深さに気付いたか否かだ。
全てを受け入れた瞬間、その愛はかけがえのない物になる。
二人を取り巻く環境を見ていると、いい友達に恵まれた幸せさ、
その逆に、世間の人たちの心ない偏見が、同じ様に存在している。
それは日本に住む僕でも同じ事なんだけど、一つだけ違う事がある。
それは公に向かって、自分が好きな人を好きと言える環境。
クローズドの僕にはそれがない。
いっそ、カミングアウトしてしまえばと考えることもある。
でも、自分だけがカミングアウトしても意味がない。
公に認められるためには、自分と、自分の家族と、相手と、相手の家族、
そして、それぞれの友達にまで偏見が及ぶことを覚悟しなくてはいけない。
この映画の二人が羨ましい。
限りある命ではあるが、お互いがお互いを支え合い、
そして、それはどちらかが死ぬまで続く。
僕はこの映画に限りなく恋をしながら、限りなく嫉妬を感じている。
好きで好きでたまらないのに、それが羨ましくて仕方がない。
僕が人生の最期を迎えたとき、少しでもこの二人に胸を張って、
どうだ、僕にも君たちに負けないくらい僕を愛してくれる人を見つけたんだ!
って、言えるといいな。いや、絶対言ってみせるよ。
そうでないと、この映画にせっかく出逢えた意味がないじゃない。
