義経のみち 

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名のある通り 義経のみち

義経街道 平取

北海道平取町
平泉の衣川で死んだはずの義経が北海道の国道に名を残している。なぜかと思ってしまうが実は北海道に渡っていたと言う義経北行伝説があり、それに基づいている。国道237号線の平取を通る部分は義経街道と呼ばれている。義経北行伝説は道南の各地に残されている。

義経通り 平取

北海道平取町
蝦夷地探検をした近藤重蔵らにより、1799(寛政11)年に義経の御神体が安置され祀られたのが始まりという。義経は平取に定住し、農耕や舟の作り方、操法、機織り等の技法を伝授した。アイヌから義経はホンカンカムイと呼ばれ崇拝されたという。その義経神社に向かう道が義経通りとなっている。

義経道 神戸

兵庫県神戸市衝原
源平合戦の時、三草山で平家を破った源義経が鵯越への進軍路に使ったとされる道といわれている。丹生山から衝原、藍那を通り鵯越に続く道が義経道と呼ばれている。

義経道 亀岡

京都府亀岡市
義経率いる平家追討軍が一の谷へ 向かった旧篠山街道が義経道と呼ばれている。この道の周辺には那須与一堂 や義経腰掛岩などの義経に関する伝承が多く残されている。

義経街道  鶴来

石川県鶴来町
白山比め神社から金剱宮までの旧道は、 義経が通ったことから義経街道と呼ばれている。兄の頼朝に 追われて山伏姿に身を変えて、東北平泉に逃れる源義経が立ち寄ったといわれている。金剱宮に参った義経は夜通し 神楽を舞ったとの記録が残されている。金剱宮舞殿の前には義経が腰掛けたとされている 天然の岩「腰掛石」がある。

義経街道 屋島

徳島県小松島市〜香川県屋島
寿永4年(1185)2月の屋島の戦いの時、源義経の進軍した道が義経街道である。摂津国渡邊津(大阪市中央区)を出航した義経は通常3日かかる航路をわずか4時間で阿波国勝浦(小松島市)に到着したという。小松島に上陸した義経は手勢150騎を引き連れて屋島に向かった。

義経ロード

徳島県小松島市
小松島市を通る県道136号線が通称「義経ロード」というがハイキングコースの義経ドリームロード(10キロのコース)と混同している可能性もある。県道はドリームロードとわずかに重なったり、交差したりしている。または、義経街道の単なる英語表記か

義経街道 河内

栃木県宇都宮市河内町
治承4年(1180)後白河法皇の皇子以仁王の呼びかけに答え、伊豆で源頼朝が平氏打倒の兵をあげた。奥州平泉にいた義経は頼朝の元に300騎の兵を引き連れて向かった。その時通った道(東山道)が河内町では義経街道と呼ばれている。下ヶ橋・長峰・大塚・川俣・堀米等がそのルートと思われる。

義経街道 白河

福島県白河市
白河の関から那須町を通り、黒羽町に向かう旧東山道は義経街道とも呼ばれていた。河内町の義経街道と同じく、兄頼朝の元に駆けつけた時の道である。街道沿いには愛馬の足跡とされる沓石など義経伝説が数多く残されている

義経街道 竜王

滋賀県竜王町
竜王は義経の元服地のひとついわれ、義経街道と呼ばれた旧東山道「鏡」の宿場である
義経宿泊の館跡や義経元服池がある。鞍馬山を抜け出した牛若丸はこの地で元服し、源氏復興の機を待ち奥州へと旅だって行った。。

義経通り 瀬見

山形県最上町瀬見温泉
陸羽東線の瀬見温泉駅から温泉街までの道が「義経通り」である。義経とのつながりは兄頼朝に追われ平泉に逃れる途中、義経の奥方である北の方が産気づき男子を出生した。この時弁慶が小国川の川辺で湯煙を見つけ薙刀で岩を断ち割ったところ湯が沸き出しこれを産湯としたのである。これが瀬見温泉の由来である。
小国川を渡る橋には「義経大橋」もある

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