いろいろな道

街道古道廃道道

旧札な通り

新しいお札が発行され、だんだん旧札を見る機会も減ってきました。そんな旧札に関する人名の道を紹介します。
旧1万円札、5千円札、千円札からは聖徳太子。旧5千円札からは新渡戸稲造。旧千円札からは夏目漱石。

太子道 (奈良県)


太子道は筋違道とも呼ばれる古道跡で、聖徳太子が都を遷都した斑鳩と飛鳥を最短距離で結ぶ道路である。周囲の南北に走る条里制の道とは違い筋違いに斜行した道で、一部が残るのみで大半は消滅している。
注 ルートは略図で実際の道ではありません。

聖徳太子

(574〜622)
用明天皇の皇子。母は穴穂部間人皇后。本名は厩戸皇子。豊聡耳皇子・法大王・上宮太子とも称される。内外の学問に通じ、深く仏教に帰依。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、冠位十二階・憲法十七条を制定、遣隋使を派遣、また仏教興隆に力を尽し、多くの寺院を建立、「三経義疏」を著すと伝える。

太子道 (京都)

聖徳太子が建立した広隆寺への参詣道。広隆寺とは推古天皇11年(603年)に建立された山城最古の寺院。四天王寺、法隆寺等と共に聖徳太子建立の日本七大寺の一つ。古くは蜂岡寺、秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺など、さまざまな名称で呼ばれていた。
弥勒菩薩半跏像

太子葬送の道 (太子道)


聖徳太子御廟所
聖徳太子の死後、その亡骸を叡福寺(大阪府太子町)の御廟まで運んだとされる道が「太子葬送の道」である。また、この太子を偲んで、法隆寺から太子御廟所に参拝した多くの人びとが通った道でもある。
注 ルートは略図で実際の道ではありません。
聖徳太子は自らここを廟地と定め、推古28年(620年)に墓所を造営したといわれている。翌年、太子の生母間人皇后が死去したのでこの墓に葬り、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳手姫とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られた。これにより廟は三骨一廟とよばれている。太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の墓を守り霊を鎮めるため神亀元年(724年)に建てられたのがこの叡福寺であるという。

新渡戸通り(長野県軽井沢町)


新渡戸稲造旧居(東京都文京区小日向2-1-30)
明治37年から昭和8年まで住みニトベ・ハウスと呼ばれた
長野県軽井沢町
新渡戸稲造の別荘があったことから「新渡戸通り」と命名されている。大正7年に開校した軽井沢夏期大学は新渡戸稲造が会長となっている。


関連施設
■十和田市立新渡戸記念館
 青森県十和田市東三番町24-1

■盛岡市教育委員会先人記念館
盛岡市本宮字蛇屋敷2-2

新渡戸稲造

  新渡戸稲造は1862年(文久2)南部藩士の子として盛岡に生まれた。札幌農学校卒業後、アメリカ、ドイツへ留学。札幌農学校教授、台湾総督府技師、京都帝大教授、旧制第一高等学校校長、東京帝大教授などを歴任。東京女子大学初代学長となり設立にも尽力。1920年(大正9)国際連盟設立時には事務局次長、太平洋問題調査会理事長などもつとめ、世界平和に尽力した。1933年(昭和8)カナダ・バンフ太平洋会議に日本側理事長として出席中、ビクトリアで客死。71歳。1984年(昭和59)五千円札の肖像画となっている。主な著書 「武士道」「農業本論」など多数。

夏目坂通り(東京都新宿区)

  • 漱石生誕之地前の通り

漱石の道(熊本県熊本市)

  • 上熊本駅から熊本大学に至る3キロの道。

漱石記念緑道(熊本県熊本市)

  • 熊本市京陵中前、上記の「漱石の道」が煉瓦造りの緑道として整備されている。

我が輩通り(熊本県熊本市)

  • 上熊本駅前の通り。駅前広場には漱石の銅像がある。


漱石公園にて

生誕地

夏目漱石

(1867〜1916)
小説家、英文学者。江戸生まれで本名は金之助。英国留学後教職を辞して朝日新聞の専属作家になった。日本近代文学の代表的作家。小説「我輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」など

漱石公園
関連施設
■夏目漱石生誕地
 東京都新宿区喜久井町1番地
 生誕地の碑
■漱石公園
 新宿区早稲田南町7

 終焉の地、漱石山房跡、猫塚
■夏目漱石旧居跡
 東京都文京区向丘2-20-7 日本医科大学同窓会館
 1903年から1906年まで住んでいた。 猫の家


名のある通りリスト へ
HOME 街道みちしるべ