ベルツ通り
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群馬県草津町
エルヴィン・フォン・ベルツ[Dr.
Erwin von
Baelz] ( 1849〜1913) ドイツの医学者。明治9年、日本政府の招きにより来日、以後29年間滞日し、日本の医学の進歩に貢献すると共に、草津の素晴らしさを欧米諸国に紹介した。草津にはベルツ博士の功績をたたえるベルツ記念館があり、ベルツ通りもある。 |
モラエス通り
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徳島県徳島市
モラエス[Wenceslao de Moraes] (1854〜1929) ポルトガルの海軍軍人・著述家。1898年(明治31)神戸のポルトガル副領事、神戸・大阪総領事。日本婦人と結婚し、多くの著書によってわが国の生活・風俗を紹介。17年間を徳島で過ごし、徳島の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と称され、1929年に徳島の地で没した。モラエスを顕彰するため伊賀町の旧居付近にモラエス通りと名付けている。 |
ゼームス坂通り
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東京都品川区
J.M.ゼームス(1839-1908) 海軍省で航海学を指導した英国人。ゼームスは坂を下った南馬場に住んでいた。当時浅間坂とよばれていた急坂で通行人が苦労しているのを見て私財を投じて緩やかな坂に改修した。 |

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ゼームス坂通り |
エジソン通り
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京都府八幡市
電球を発明したのはエジソンであるがこの電球実は京都八幡の竹から作られたフイラメントが使われていた。こんな縁で駅前の商店街はエジソン通りと呼ばれている。またこの町にはエジソン協会も存在している。 |
ピアソン通り
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北海道北見市
アメリカ人宣教師ピアソン夫妻を記念して夫妻が15年間暮らした北見市幸町の私邸は記念館となっており記念館までの通りはピアソン通りと命名されている。ジョージ・ペック・ピアソンは1861(文久元)年、アメリカ・ニュージャージー州エリザベスの牧師の家庭に生まれ、1888(明治21)年、日本伝道の命を受けて来日。東京の明治学院で教えたあと、1893(明治26)年から北海道で伝道活動を続けた。 |
ラチエン通り
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神奈川県茅ヶ崎市
ドイツ人貿易商のルドルフ・ラチエン氏に因んだ通り名である。海岸から東海道までの南北に走る通りであるが東海道本線の踏切名は異人館踏切となっている。この異人館は松が丘にあったラチエンの別荘を指しているのであろうか。
異人館踏切の由来となった異人館はイギリス人ボールデンさんの屋敷だったそうです。近縁の方からかなり前にメールを頂いたのですが紹介がおくれました。八年前にこの異人館は取り壊されたとの事です。 |

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ラチエン通り |
ゲーテの小径
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東京都北区
東京ゲーテ記念館とは実業家・粉川忠が収集したゲーテの作品や資料を展示する資料館で通り名はこれに因っている。
ゲーテ[Johann Wolfgang von Goethe] (1749〜1832) ドイツの作家。青年期の抒情詩や戯曲「ゲッツ」、書簡体小説「若きウェルテルの悩み」で疾風怒濤期の代表者となる。「ファウスト」なども有名。 |

ゲーテの小径 |

東京ゲーテ記念館 |
モーツァルト通り
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東京都渋谷区
通りは若者で賑わう竹下通りの南側の路地裏にある。通りの入り口にある病院の玄関上の壁にモーツァルトのレリーフが掲げられている。これがモーツァルト通りのいわれなのであろうか。
モーツァルト[Wolfgang Amadeus
Mozart] (1756〜1791) オーストリアの作曲家。ウィーン古典派三巨匠の一人。幼時から楽才を現し、短い生涯中、六百曲以上の作品を書いた。 |

モーツアルトのレリーフ |

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ブラームスの小径
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東京都渋谷区
モーツァルト通りと同じく竹下通りの南側にある。こjの通りの途中のレストラン前にはブラームス像がある。これが由来なのであろうか。
ブラームス[Johannes Brahms] (1833〜1897) ドイツの作曲家。ロマン派に属するが、入念な構想力により重厚な作風を築き、バッハ・ベートーヴェンと共にドイツ音楽の「三大B」と称される。 |

ブラームスの小径 |

ブラームス像 |
ノーベル街道
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富山県〜愛知県
国道41号は「ノーベル街道」である。国内に12人しかいないノーベル賞受賞者のうち、富山市新川原町出身の田中耕一さんをはじめ、なんと5人が国道41号沿線にゆかりのある人たちである。利根川進さんは、大沢野町。小柴昌俊さん、岐阜県神岡町。白川英樹さん、高山市。野依良治さん)は名古屋大教授。いまのところ道路に「ノーベル街道」の表示板はない。
ノーベル[Alfred Bernhard Nobel] (1833〜1896) スウェーデンの化学者・工業家。ダイナマイト・無煙火薬の発明者。ノーベル賞の資金提供者。 |