太閤道
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福岡県鞍手郡宮田町
文禄元年、秀吉が朝鮮出兵のため肥前名護屋に出陣した時に通った道と伝えられている。秀吉人気にあやかってか、九州には幾筋かの太閤道が残っている。
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太閤道
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福岡県福岡市城南区
この道も秀吉が肥前名護屋に出陣した時に通った道で上記太閤道から続いている、中村大前交差点の別府交番裏の小道から西に向かい原の交差点まで一直線に続いている。この先は姪浜の唐津街道に合流している。 |
太閤道
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福島県岩瀬郡須賀川市
道は国道294号の旧道で勢至堂峠へ至っている。 1589年豊臣秀吉が会津入りで通った事から太閤道の名がある。 |
秀吉道
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静岡県静岡市
豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐のときに開拓した事から秀吉道の名がある。江戸時代には東海道となっている。 |
権現みち
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千葉県市川市
徳川家康が東金へ鷹狩に行く時通った道で市川市の行徳に残っている。行徳街道が出来る以前の古道である。家康は江戸から船で、今井の渡しまで利用しそこから行徳を通り船橋へ向かった。権現とは東照大権現として祀られた家康を指している。 |
信長街道
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滋賀県安土町
安土駅から安土城跡への道で信長の偉業を観光資源として活用するため、名付けられたようだ。朝鮮人街道を活かした道ともなっている。
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信長街道
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愛知県蟹江町
この道は信長が19才、清洲城攻略の時、行軍した道と伝えられている。蟹江町の須成善敬寺から七宝町徳実・甚目寺町・清洲町に通じている古道で現在蟹江町の須成地区の道が整備され説明板も設置されている。 |
信長道 信長街道
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大阪府阪南市
信長が軍用道路として整備した道と云われ、二説ある。
泉南市の信達から鳥取で浜街道と合流するまでの道(地図ではピンクで示す)。
信長が根来寺や紀州雑賀勢の討伐のため波太神社に陣を置いたことから同神社前の道を信長街道または信長道と呼んでいる(地図では赤で示す)。 |
太閤道
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大阪府高槻市
秀吉が山崎の合戦のおり、通ったと云われ太閤道の名がある。高槻の太閤道入口から金竜寺跡、若山山頂(太閤山)を通り若山神社へ至る道。どちらかというとハイキングコースのようで「コース編」に分類すべきかもしれない。 |
清正公道
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熊本県大津市
豊後街道の菊池郡大津町から阿蘇郡阿蘇町二重峠までの道を清正公道と呼ぶ。加藤清正が天正16年(1588)に初めて熊本に入国する際この豊後街道を通ったとされ、これにより清正公道の名がある。藩政時代は参勤交代の道として整備され利用された。 |
幸村街道通り
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長野県真田町
ネット上では使用例が一例しかなく、推定するしかないのであるが上田菅平IC
から菅平高原へ向かう国道144号線が幸村街道のようである。そして幸村街道通りは真田町の本原の商店街の名称ではないかと想像している。真田は真田氏発祥の地である。 |
謙信道
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長野県飯山市国道292号線
飯山市内を北上する国道117号線から西に分かれ富倉峠を通り上越に向かう国道292号線が上杉謙信ゆかりの道、謙信道である。また上杉謙信街道とも呼ばれる。 |
謙信道
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長野県高山村
黒部、赤和、水中を通る道が謙信道なのであるが具体的にどの道であるのかはっきりしないので概略で示しています。
この道は謙信と信玄で有名な「川中島の合戦」の謙信側の軍道であったといわれる。 |
信玄道
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神奈川県津久井町串川
かながわの古道50選に選ばれている道で「信玄道串川付近」としてリストアップされています。信玄道はこの他に「信玄道の三増合戦場跡付近」があります。
武田信玄が永禄12年(1569)に小田原城を攻めた帰路の道筋で厚木市中依知の追分から三増、津久井を経て甲州に至る部分を「信玄道」といいます |
信玄の道
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山梨県塩山市
塩山駅北口を西へ中央線沿いにしばらく進むとガードを越えてくる道があり、そこから北西の道が「信玄のみち」で恵林寺まで続いている。
恵林寺は武田家の菩提寺で信玄公の墓所などがある。 |
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信玄の棒道
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山梨県小淵沢
武田信玄が、信州攻略のために作った軍用道路で棒のようにまっすぐに延びている事から棒道と呼ばれています。
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太閤通り
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愛知県名古屋市
豊臣秀吉の出身地である名古屋の中村区に太閤通りはある。秀吉関連の通りはこの他に千成通り、豊国通りなどがある。 |
関白道
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神奈川県小田原
関白道の一夜城跡付近はかながわの古道50選にもなっている。一夜城は、天正18年(1590)、小田原を攻めた豊臣秀吉が小田原北条氏に一晩のうちに城が出来たように思わせたことから付いた名である。一夜城を経て箱根町の芦川宿に通ずる道を新たに造り「関白道」と呼んだ。
早川駅前の案内板では関白農道の表記となっている。確かに両脇はみかん畑で農道である。
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関白道 |

関白道改修記念碑 |
清正公通り
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神奈川県横浜市
横浜にある清正公通りは伊勢佐木町の通り近くの長者町にある。おそらく清正公を祀る社が本来はあったと思われるが現在この通りには存在しない。
下の写真の清正公堂は少し離れた川沿いの駐車場の一角にあるお堂である。清正公とは豊臣秀吉の家来として有名な加藤清正の事。 |
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清正公通り
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愛知県中村区
加藤清正の生誕地である妙行寺前の東西の通りが清正公通りである。名古屋城築城を徳川家康に命じられた際に,余った木材を使用して,寺を再建したのが妙行寺の始まりといわれている。妙行寺には「加藤清正公」の石像や「清正誕生之碑」の石碑がある。 |
黄門さん通り
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茨城県水戸市
水戸市内の国道50号線が黄門さん通りと呼ばれている。黄門さんとは大日本史などを編纂した水戸藩主の徳川光圀の事。
黄門さんおしゃべりパーク(三角地小公園)には「黄門さん像」が建立されている。 |