英国の小さなスポーツカーメーカー、ジネッタの名前は日本では知られた存在ではなかった
過去にごく1部のマニアによって英国から中古車が何台か持ち込まれただけである
だが、12年ほど前 ジネッタカーズはある日本人の働きかけをきっかけに
60年代に英国のサーキットで活躍したG4・G12の再生産を始めた
英国エセックス州のジネッタカーズの現在は
G32やG33といったスポーツカーを主力生産する
従業員70名程の小さなメーカーである
その中でも手作業で生産を行うG4・G12は年間30台ほどの生産規模である
現在は その後の諸事情によりG4・G12に限りDARE社にて生産が続けられている
1957年
ジネッタという名前をもつクルマがイギリスのサーキットに登場したのは57年のこと
それはサフォーク州で建築業を営んでいたボブ・アイヴァー・トレヴァー・ダグラスの
ウォークレット兄弟によって作られたG1と名づけられた1台のレーサーであった
4男のアイヴァーを中心に製作されたそのクルマは
中古のウーズレー・ホーネットのパーツを利用したランチア4CLTに似たクルマで
彼らはこのG1とともにホームグランドのスネッタートンをはじめとした
草レースに出場していたが自宅内の道路でクラッシュしてしまい大破
1958年
だが、元来がレース好きの彼らはそれでめげるわけではなかった
ウォークレット兄弟は再びアイヴァーのアイデアのもと後継車を開発したのである
G2と名付けられたそのクルマは25mm径鋼管で構成したチューブラーフレームに
フォードポピュラーの1100ccエンジンを載せロータスMk6に似たアルミボディを架装したものであった
G2も兄弟でレースに出るのを目的として作られたが
周囲のクルマ好きの間で高い評価を受け量産を請われることになる
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筑波サーキットにて
彼らはG2を完成したボディ・シャシーにエンジンと必要なパーツをセットした
半完成キットで156ポンドの価格を付けて販売した
当時のイギリスは弱小メーカーは半完成キットによってクルマを提供することが多かった
その背景には完成車には50%の消費税がかけられるという事情があった
半完成のキットカーはその課税対象ではなく
メーカーにしてみれば生産コストと手間を省くことができ車両価格も抑えられたのである
また、そういったキットカーの購買層は自分で組み立てて
クルマを持ちたい・運転を楽しみたいといったクルマ好きの人たちだったので
軽量スポーツカーが主であるという図式が成り立っていたのであったロータスの創始者コーリン・チャツプマンはキットカーの販売によって
レースの資金を捻出し経営の基盤を築いたし
TVR、マーコスといった現在も残るイギリスのスポーツカーメーカーの
いくつかもキットカーのメーカーとして始まったのである
そして、そんなキットカーをチューニングしレースに参加する
アマチュアレーサーも当時のイギリスの草レースを支えていたのだG2は58年から60年にかけて約100台が販売された
このことがきっかけとなってウォークレット兄弟は本業の傍ら
スポーツカーの製造業も始めることになる
4男アイヴァーが設計、3男ボブが経営、次男トレヴァーがレース監督、長男ダグラスが全体を統括する
という4人のチームワークはそのとき決められた役割分担である
1960年
さらに2年後、G2はフレームに小変更を加えアルミボディからACエースに似たフラッシュサイドの
FRP製オープンボディに載せ換えたG3へと発展するが本格的な販売はされなかった
1961年
G2・G3でカーメーカーの足がかりを作ったウォークレット兄弟は
成功作となるG4をロンドンレーシングカーショーで発表した
25mm径鋼管で構成されたフレームに架装されたFRP製のボディは
もはや模倣と呼べないぐらい個性的なものになっていた
デザインはアイヴァーによるものでロータス11に似た大きなテールフィンを備えていた
ボディサイズは全長3350mm・全幅1422mm・
全高685mm(フロントウインドまで含めると923mm)
ホイルベース2030mm・トレッド1168mm(前後)であった
サスペンションはフロントが上下Aアームによるダブルウイッシュポーン+コイル
リヤはフォードアングリアから流用したライブアクスルを
トレーリングアームとAブラケットで固定+コイルというレイアウトである
重量は完成車で419KgであったG4のフロントにミッドシップで搭載されるエンジンには
750ccのコベントリークライマックスエンジンを使用するつもりであったが
このエンジンが多くのバックオーダーをかかえて入手が困難な為
しかたなくフォード105E・977cc・OHVエンジンを使用する
完成車は697ポンド、キットで499ポンドという価格が付けられ
16ポンドのエキストラでフォード109E・1340ccエンジンも選べた購入者の元へ送られてくるキットの内容は
エンジンとスプリング、ショックが組まれた完成シャシー、インパネとメーター類
必要なスイッチ、シート、オースチン・スプライトから流用したフロントガラス
ホイールとタイヤが5個、そしてボディパネルであったウォークレット兄弟は、このG4に成功の確信を抱いていたのだろう
G4の発表と同じころ兄弟はスフォーク州から隣のエセックスに新たに工場を作り
建設業をやめ自動車生産に専念するのである
1963年
G4は多くの部分に改良を受けシリーズ2へと発展するフレームは円断面鋼パイプから角断面パイプで構成されるようになり(ごく初期は円断面鋼パイプ)
エンジンペイのサイドシルが下げられフロントサスペンションもウイッシユポーンのロアアームの
ピポット位置を16mmずつ外側に出しスプリングのストロークを増している
フロントディスクブレーキの採用もこの時からであった最も変更を受けたのはボディで
リヤのテールフィンを廃止しスラブタイプと呼ばれる絞り込んだリヤスタイルとなり
トランクルームも拡大される(全長は3547mm)そして、合わせガラスのフロントウインドと
パースペックスと呼ばれる樹脂製のサイド・リヤウインドを持つ
脱着可能なハードトップもオプションで用意された
エンジンは相変わらず基本的に997ccのフォード105Eであったが
これには事情がある 当時の国際レース規定で市販車部門は同一エンジンを登載したクルマが
100台以上作られていることと定められていたのである
そして、9月にG4は100台以上の生産によるホモロゲーションが認められた
その後、エンジンのラインアップも増やされ
フォード113E・1198cc、116E・1498ccエンジンも選択できるようになる
ちなみに116Eを積んだモデルは初めG5と名付けられたが市場ではG4のハイパワー版と受けとめられ
G5の名前が定着せずメーカー自らG4ー1500とモデル名を変えたさらに本人の希望に応じてコルチナの112Eやロータスツインカムも搭載されていた
そして、G4シリーズ2をベースにリヤのサスペンションをフロントと同じダブルウイシュボーンに変え
4輪独立とし4輪ディスクプレーキを採用したG4Rというレーシングモデルも登場させた
草レースに参加していたドライバー達から
同じ105Eを載むロータスセプンよりもポテンシャルが高いと評判であった
1964年
G4・G4Rはこの後、イギリス国内レースで多くの戦債を残す
特に64年はそのピークと言えワークスドライバーのクリス・ミークは自分で組み立てたG4に
コスワースのカムシャフトを組み込んだフォード製1650ccのOHVエンジンを搭載し
lシーズンに8回の優勝・6回の2位を獲得
G1のころからホームグラウンドであったスネッタートンサーキットでは
2000cc・180馬力のポルシエ904が樹立したコースレコードもあっさりと破ってしまった
その後G6へ発展
シングルシーター・フォーミュラーのG8・G9も同年に開発された
1965年
アメリカ進出を狙いフォードV8・4.7Lを積んだG10・G11を発表する
しかし約20台の生産に止まり成功とは言えなかった